2013年1月16日水曜日

私の英語学習歴

 以前英語教育2.0というブログで「私の英語学習歴」企画があったのですが乗り遅れてしまいました。ただいつかはまとめてみたいと思っていたので,時期外れではありますが,自分の英語学習歴についてまとめてみようと思います。

  小学生時代
 英語を勉強した訳ではないのですが,なぜか「モクモク村のケンちゃん」のことは覚えています(最近アプリにもなったようです!)。内容は覚えていませんが,いくつかのフレーズを子ども心に暗記したようで,”What’s your name?”と”How are you?”は言えるようになりました。小学校低学年の遠足のときだったと思うのですが,たまたま観光に来たと思われる外国人がタクシーから降りてきました。そこで興味半分で暗記していた2つの表現を利用し,見事に相手から答えが返ってきたので友だちに自慢した覚えがあります。ですが,表現は覚えていたものの自分が聞かれたときの返し方は覚えていなかったので,外国人に同伴していた日本人に「自分のこともちゃんと答えなきゃ。」と言われました。

  中学生時代
 中学校1年生のときの英語教員はおじいちゃん先生でした。「おい,お前らこれ覚えとけ。」と動詞の活用表を渡され,それさえ覚えていたらテストでは高得点を取れたものです。惰性で英語を勉強していたのですが,高校受験を意識し始めた中学校3年生の頃,いきなり英語の点数が伸び悩むようになりました。そこで友だちも通っていた近所の学習塾に行き始めました。そこの英語担当教員は極端なぐらいシンプルに英語を教える人(現在某学習塾のトップ!)で,今でも覚えているのは「不定詞,動名詞,両方取る動詞はそれぞれ3つずつ覚えておけ!」と言うような人でした。ですが英語の知識が体系化されておらず困っていた私にとっては,彼の指導が本当に役立ちました。

  高校時代
 高校時代に出会ったのは若い英語の先生で,当時にしては珍しく授業をほとんどすべて英語で行う先生でした(現在も広島県内の高校で活躍されています)。彼の授業はとても刺激的で,英語に対する興味が高まりました。その他にも受験対策としていわゆる単語集や即戦ゼミ,通信講座なども受講しましたし,ラジオ番組の「百万人の英語」を聞くために早起きしたり(でも寝ぼけていたのでほぼ睡眠学習),大手予備校の集中講座のようなものも受けました。センター試験では幸い高得点を取ることができましたが,明示的な英語知識はほとんどなく,感覚的なものでした。

  大学時代
 「英語=英語英文学科」という安易な考えで,大学の英語英文学科に進学しました。最初の頃のオリエンテーションで先輩に「大澤君は何で英語英文学科に来たの?」と聞かれ「英語が話せるようになりたかったからです。」と意気揚々と答えました。すると即座に「そんなの無理よ。」と一笑に付されたのを覚えています。学部時代の授業は文学作品を丁寧に訳読していくというスタイルの授業がほとんどでした。不真面目な大学生活を送っていて2年生になった頃,女子学生の多くが夏期休暇期間中に語学留学をするということを知りました。そこでその流れに乗り,イギリスに1ヶ月間語学留学することにしました(イギリスを選んだのは文学はやはりイギリスだろうというプレッシャーがあったから)。この1ヶ月は楽しいことばかりでした。ヨーロッパやアジアの国の人たちと多く知り合うことができたし,後に大学院進学を決意したときにお世話になった高校の先生にも出会うことができました。1ヶ月はあっという間に過ぎ去り,「いつか今度は1年以上英語圏で勉強してみたい!」という思いを強く持つようになりました。当時は学部生が留学をするというのは珍しかったので,某教官に「イギリスに1年間留学したいんですけど。」と聞いたら「学部生ではちょっとね…。」と渋い顔をされたものです。

 そう言えばこの頃某Y○C○Aにも通っていました。思いつきだったので入れるクラスが少なく最初に入ったのが同時通訳コース(すぐに飽きた),次にTOEFL試験対策コース(試験対策ばかりで面白くなくなった)を受講しましたが,長続きはしませんでした。

  大学も2年次になってくると専門的な授業が増えてきます。その中で興味を持ったのが,文体論の視点から文学作品を読んでいく授業でした。そこで文体論を専門とする先生のゼミナールを希望し,卒業論文ではディケンズの『大いなる遺産』を文体論的な視点から分析しました。当時は喫煙に対する意識も低かったので,ゼミ教室では先生は灰皿を目の前に置きタバコを吸いながら授業をしていたものです。何とも言えずその姿が格好良かった(関係ない話ですが)。4年生になり周りの学生が就職活動を始め続々と就職先を決めていく中で,私だけは迷っていました。当時の志望は中・高等学校の教員だったのですが,教員になるにはあまりにも英語力が足りない。そこでいきなり大学院に進学することを決意しました。それも専攻をかえて英語教育に!当時はアメリカ文学史やイギリス文学史を勉強すると共に,A.J.トムソン, A.V.マーティネット著『実例英文法』という文法書も読み込みました。

  大学院修士課程時代
 進学したのは大学院大学とよばれる大学で,同級生には現職の中・高等学校の教員がたくさんいました(彼らとの出会いはとても貴重で今でも交流があります)。同級生に現職の先生がいることで,「教育現場」に関する問題意識を持つことにとても役立ちましたし,英語力をはじめとして様々な面で劣っていたので,授業でおいていかれないように必死で2年間勉強しました。TOEICは今ほど利用されている試験ではありませんでしたが,大学院入学直後に受験したTOEICのスコアは730程度(同時期に受験した英検準1級は合格)。英語教員を目指す学生としては大して英語のできる学生ではありませんでした。そこから必死に英語教育関連の文献を毎日のように読み進めました(自分のノルマとして毎日20-30ページの論文を1本読むということを課していました)。そこで感じたのは「英語教育関連の文献ってなんて簡単な英語で書いてあるんだろう!」ということでした。大学時代は毎ページのように辞書を引いて真っ黒になるぐらい単語の意味を書き込まないと読めない本ばかりでしたが,論文で使われている英語はとても簡単だということを知りました。そして2年間勉強した訳ですが,学部時代に抱いた「留学をしたい。」という思いが消えることはありませんでした。そこで修士2年目の時にイギリスの大学院修士課程に進学することを決め,TOEFLの試験も受験し何とか基準をクリア(具体的なスコアは忘れましたが確かPBTで550以上?)したので留学できることになりました。ですが,周りが就職を決めていく中でまたしても私一人だけが何もしていないのを不憫に思ったのか,ある先生が「博士課程に進学しないか?」と誘ってくれました。当時は博士課程に進学することなど夢にも思わなかったのですが,修士課程修了(3月)後,イギリス大学院進学(9月)まで間が空いてしまうよりは学生という身分があった方が良いだろうという軽い気持ちで博士課程進学を決意しました。

  イギリス留学時代
 イギリスの修士課程は1年間で前期は授業,後期は論文執筆という流れでした。「イギリス=少人数教育」という勝手なイメージを持っていたのですが,同じ専攻に3-40名程度在籍する大所帯でした。この1年間はインプットからアウトプットの期間でした。日本の大学院修士時代までは読むことがほとんどだったのですが,ここでは論文を読んだ上でエッセイを提出することを求められます。毎日のように英語を読み毎日のように英語を書き,楽しいことがありつつも本当に大変な毎日でしたが,何とか無事に修了することができました。ここでわかったのは大学院レベルの留学ともなると英語力よりも知識が重要だということです。既に知っている分野の授業はほとんど苦労しませんでしたが,全く知らない分野の授業は非常に苦労しました。日本で修士課程を修了していた分,変な自信を持っていたのですが,英語を読むにしても書くにしても力不足で,その自信は見事に打ち砕かれたのを覚えています。

 大学院博士課程時代
 そして日本に帰ってきて博士課程の学生を続けました。これまでと同様,論文を読む毎日でしたが,それに加えて当時の指導教官から言われた「英検1級,TOEIC900以上」(なぜこの目標を提示されたかはわからない)を目標に実用的な英語の勉強も開始しました。と言っても試験のために勉強するのは嫌だったので,雑誌TIMEを継続して読みわからない単語を文と一緒にノートに書き写す,文法書を1冊読み込むといった作業を行いました。その結果,博士課程が終わる頃には両方ともクリアすることができました。このような英語試験の実績がすべてではありませんが,ようやく自分の英語力に少し自信が持てたのを覚えています。

  その後
  そしていろいろありながら現在に至ります。思い返してみるといわゆる試験勉強と呼ばれる学習方法が嫌いで,英文法や語彙などを機械的に暗記するのも苦手でした。そのかわりできるだけたくさんの本や論文を読み,インプットを多量に得ることを心がけました。そのためか,自信を持って明示的に自分の英語の知識(文法や語彙)を説明することはできず,中学校,高校,大学と苦労しましたが,それでもそれなりの英語力(それなりというのがポイントで大した英語力ではなかった)を保っていたように思います。英語の文法などについて明示的に説明できるようになったのは実は大学で教えるようになってからです。大学で教えるという立場になり,説明をするために様々な文法書や英語学の本を読んだことによって,ようやく今までのインプットが明示的な知識として定着した気がします。  

 このように,「英語学習」を意識的にやったことはないので,お勧めできる英語学習法や本などはないのですが,やはり多量にインプットを得ることはとても重要だと思います。また文法用語をいちいち暗記する必要はないと思いますが,いわゆるコロケーションや基本的な文法のパターンを明示的な知識として持っておくことは重要です(高校のときに機械的に繰り返し勉強した『即戦ゼミ』は当時は大嫌いでしたが今は自動化された知識として活きています)。ここまでに至る英語学習は何だかジグソーパズルのようで,英語力というパズルを完成させるために足りないピースを探していく過程でした。今もまだ英語学習は継続中ですし,足りないピースを探す活動は続くと思います。