2026年2月4日水曜日

自転車事故に遭いました

2年以上も前のことになってしまいましたが、自転車で事故に遭いました。以下は事故時の状況を記載する書類に書いた文章からの引用です。

「2024年1月6日(土)15時50分頃。天気は快晴。土曜日ということもあり、自動車の通行量は通常よりも少なめ。甲車は普通自動車、乙車は自転車。乙車は青信号で「自転車通行可」の歩道から交差点の自転車専用横断帯を利用して直進で交差点に進入。甲車は対向右折専用車線から、右折しながら交差点に進入。乙車を視認することなく前方不注意で(加害者の証言あり)強引に右折しようとしたため乙車と衝突。甲車は徐行しないまま右折し、乙車の前に割り込んできた。乙車はとっさにブレーキをかけたが避けきれず甲車の側面に衝突し、引きずられる形で転倒した」

この交差点は通る度に恐怖を感じる場所ではありました。交通量が多く横断歩道は無く自転車専用横断帯のみ。自動車は横断帯の前で徐行することなく左折する車も多く、左折車がいないかどうかは常に気にしながら渡っていました。とはいえ前方から来る車が自転車を見落とすほど視界が悪いわけではなく、まさか前方からの右折車にぶつかるとは思ってもいませんでした。右折車は僕を完全に見落とし、直進車がいないタイミングに急いで右折をしてしまおうと思っていたのでしょうが、僕からするとまさかそのタイミングで右折してくるとは予想もしておらず、いきなり目の前に現れた車を避けきれずそのまま車の側面に衝突しました。「マジか!」という思いと、「このまま転倒したら交通量の多い交差点で後続車に轢かれてしまうかも」という恐怖で、必死で自転車が転けないように堪えましたが、車が通り過ぎた後支えがなくなりそのまま転倒。受け身を取った際に右半身をアスファルトに打ち付け起き上がれませんでした。このままだと轢かれると思いましたが、自力で立ち上がることができず、救護措置に駆けつけた加害者の肩を借りて中央分離帯に運ばれました。その後救急車を呼んでもらい救急病院に緊急搬送されることに。身分証明証を所持していなかったので(そしておそらく頭部損傷の有無の確認のため)救急隊員に何度も名前や住所を確認されて辛かった。そしてマスクをしていなかったので「コロナワクチンを接種していますか?」と聞かれたのも印象に残っています。

あと2週間頑張ればその年度の担当授業が全て終わるタイミングでしたし、翌日には親戚の法事に参加することにもなっていました。右半身が痛いものの、アドレナリンも大量に出ており、何とかそのまま退院する気持ちで、まずは骨折の状況を確認するためにCT撮影。医者によれば、「肋骨が数本折れてますね。あ、あと鎖骨も折れているし、恥骨と尾骶骨も...」という診断。僕が「いやでも明日は法事に出なきゃいけないんで、法事に出た後にまた病院に来ます」と言うと、医者は「(無理だと思いますし)痛いと思うけどそれでも良いですよ」と帰宅の許可を出してくれました。その時は車椅子に座っていたのですが、診察料の支払いをしようと立ちあがろうとした瞬間、股関節に激痛が走りました。何度試しても立ち上がれないので看護師に相談すると、「そのような状況であれば入院した方が良いと思いますよ」と言われ、結局入院することに。その瞬間、アドレナリンの放出も(無事に笑)終わり、寝かされたベッドの上で動けなくなりました。肋骨が数本折れていたこともあり呼吸も浅くなりがちで、血中酸素濃度を計測したところ数値が低いということで、酸素吸入も始まりそのまま夜に突入。当然といえば当然ですが、痛くて当日は全く眠れませんでした。

以下備忘録がてら書いていた記録をもとに当時の状況を振り返っておきます。

Day 2(2024.01.07)

年度末の仕事が立て込んでいたこともあり、病室は個室に。痛みで1日中あまり動けず。骨折の状況を詳細に見るためにレントゲン撮影。血中酸素濃度は以前として低いものの、夕方あたりから改善傾向に。レントゲン撮影のために動くだけでも激痛が走るため、それ以外はずっとベッドの上で過ごす。

Day 3 (2024.01.08)

大学関係者および授業の受講生に明日以降の休みについて連絡をする。医者からは「恥骨の骨折の場合、少なくとも1ヶ月の入院は覚悟しておいてください」と言われ、愕然とする。身体の右側が痛く左側しか使えないのですべてiPhoneで。今日もレントゲン撮影をしたがやはり激痛。早くもリハビリ開始。右(恥骨)に力をかけず松葉杖を使えば歩けることを知り感激する。

Day 4 (2024.01.09)

いきなりモードが変わる。掃除関連の人が個室に出入りするようになる。血液・尿検査ののち、シャワーの許可が降りる。痛くないように気をつけながら服を脱いでシャワーを浴びたが体が自由に動かずかなり大変。そして事故後初めて見る自分の右肩の内出血に驚く。保険会社、警察の方たちとのやり取りもスタート。警察の方とは人身事故にするか物損事故ににするかという話、保険会社の方とは診察料をどうやって払うか決めてくださいという話。

Day 5 (2024.01.10)

簡単な健康診断とリハビリのみ。症状が落ち着いたからか急性病棟からリハビリ病棟への引越しを求められる。医師からは「この状態であれば2週間程度で退院できるでしょう」と言われ一安心。歩きすぎたせいか右の恥骨が痛くなってしまった。明日からの病室移動を指示される。

Day 6 (2024.01.11) 

午後から病室を移動。個室重視のためかリハビリ病棟ではなく緩和ケア病棟の個室を当てがわれる。二階の急性期対応病棟はフットワークの軽い若手メインで元気溌剌な看護師が多く日替わりだったけど、このフロアは落ち着いた年配の看護師が多い。雑談も増える。夜にカレーが出てテンションが上がる。昼にようやく臥床食からの卒業。鏡開きということでお餅が出た。

Day 7 (2024.01.12)

昨日と同じスタッフが多く安心する。今日は人の出入りが少ない日。リハビリの川崎さんとリハビリしながらお酒の話をする。マッサージをしてもらう際に起きあがろうとするも自力で起き上がれず。先が思いやられる。右肩の内出血、肋骨の範囲にも広がる。おしっことお通じの回数を頻繁に聞かれるのでちょっと恥ずかしい。

Day 8 (2024.1.13)

土曜日ということもあり静かな1日。定期的な診察とリハビリのみ。昼の看護師は融通が利かず、熱があるじゃなんじゃらうるさい。挙句の当てに「入室はご遠慮ください」という札をドアに貼っているにもかかわらず突入してきてタバコくさい。

Day 9 (2024.1.14)

連日の読書および映画三昧。前向きに考えれば人生でこんなにゆったりとした時間はそんなに無いかもしれない。今日はロキソニンがよく効いていたのか、1日特に痛みに悩まされることもなく終わった。ここ数日お茶を飲みすぎたせいか夜の寝つきがちょっとだけ悪い。

Day 10 (2024.1.15)

忙しい病院ということもあってか主治医の診断も簡素でリハビリも短い。仕事をするにはちょうど良いもののちょっと物足りなさもあり。入院期間が長くなったこともあってか、顔見知りの看護師さんも増えてきた。緩和ケア病棟の中では若手。退院後の対応も含めて、弁護士の友人が来院し、今後のことについて相談をする。

Day 11 (2024.1.16)

日中の担当看護師はDay 8と同じ人。相変わらず融通が利かずちょっと面倒くさい。仕事していたらいきなり院長先生による回診が。「白い巨塔」を思い出し、本当にこんなのあるんだと感動したが、お付きの人が1人しかいなくてちょっとがっかり。リハビリは床に寝転がる練習だったが、ちょっと怖かったのでやめておいた。代わりに階段の上り下りの練習。

Day 12 (2024.1.17)

水曜日は午後休診ということもあってスタッフ不足なのか、何かと忘れられることが多い。今日は主治医の先生と今後の方針について相談。来週診断の後、近所の病院へ紹介状を書いてもらうことにした。リハビリははじめて外出。病院の周りを一周したが、久しぶりの外すぎて何だか不思議な気がした。

Day 13 (2024.1.18)

退院前日。やはり寝起きは肩と背中が痛い。ただ日に日に夜は寝れるようになってきた。意図的に昼のロキソニンを抜いてみたけどやはり地味に痛い。顔馴染みの看護師も増えてきたのでちょっと寂しい気もする。

Day 14 (2014.1.19)

無事退院。退院祝いにランチ、夕食共に外食。警察署に診断書を提出(診断書を提出することで物損ではなく人身事故扱いになるらしい)。

退院後は自宅勤務も交えながらタクシーなどを使ってしばらく通勤しました。

2024.2.12

外出先で松葉杖を使わずにはじめて外出。

2024.2.13

市電を活用しつつようやく公共交通機関で通勤。

2024.3.16

警察による実況見分

2024.4.13

警察による供述調書作成

2024.4.17

103日ぶりにチャリ通勤。筋肉が落ちすぎていてまともに乗れず。

入院後、松葉杖を使いながらでも歩けた時、松葉杖を使わずに歩けた時、自転車に乗れた時、半年に及んだリハビリが終わった時、には自然と涙が溢れました。現在は足の違和感は幸いなことに0ですが、鎖骨についてはいわゆる亜脱臼(一度外れた骨が元に戻り切れていない状態)のようで微妙な違和感が残ったままです。ですがいわゆる「重傷」の状態からここまで回復できたので、不幸中の幸いだと前向きに考えています。

SNSを見る限り自転車乗りを悪者にする論調が目立つ気がします。確かに逆走車も多いですし、十分に前後左右を確認せず運転したり、スマホを見ながら運転をしたり、といった悪質な自転車乗りが多いのも事実です。一方でいわゆる自転車や歩行者が優先されるべき場所で、多くの自動車が自転車や歩行者がいない想定で車を運転してしまっていることも事実です。僕は事故前も危険な運転をしているつもりは全くなかったですが、事故後はより一層気をつけて運転をするようにしています。それでも交差点で僕のことを見落として左折してくる(だいたい左折)車は一定数おり、僕は注意していなければ確実に何度か轢かれてしまっています。このような不幸な事故が少しでも減りますように。

さいごに事故で学んだことを2つ。

1. 自動車保険の弁護士特約に入っておくべき

車で加害者になることは想定していなかったので弁護士特約は付加していませんでしたが、自分が被害者になることも想定していなかったし、被害者の時にも特約が使えることも知りませんでした。加害者の加入していたネット保険の対応はかなり杜撰でひどいものだったので、そのような時は個人でやり取りをするのでは無く、弁護士に任せた方がストレスが少ないです。今からでも遅くないので未加入の人は入っておきましょう。

2. 痛い話にはみんな共感しがち

松葉杖を使わないと歩けない時には、その姿を見た「骨折経験者」が自らの骨折ストーリーを話してきがちです。松葉杖を使っていた期間中、いったい何人の骨折話を聞いたか数え切れません。共感してくれているということなのでしょうが、他人の骨折話を聞くのが嫌と言うよりは、聞く側のこちらも共感してしまい痛いので、あまり聞きたくはなかったかもしれません(笑)。


2025年3月に卒業したみなさんへ

まずは卒業式当日、LINEグループでみなさんに送ったメッセージを再掲します。

大澤ゼミのみなさん、卒業おめでとうございます。今日という晴れ晴れしい日を誇らしい気持ちで迎えていることと思います。

いつもなら今日という日をゼミ生と一緒に過ごすのをとても楽しみにしているのですが、今日はみなさんに会うことができません。

実は長患いをしていた義父が亡くなり、本日お通夜、明日お葬式があるからです。義父の家が遠方ということもあり、残念ではありますが、阪上先生に代理で学位記を渡してもらうように依頼しました。

みなさんは僕にとって大切なゼミ生です。改めてみなさんにはメッセージを送る予定ですが、まずはお詫びとお祝いのLINEでした。

卒業おめでとう!

みなさんの成長を見れる貴重な日である卒業式を欠席したことは、記憶の限り1回も無いはずなのですが、義父が亡くなったということもあり、はじめて卒業式を欠席することになりました。その後、3月25日にサプライスで研究室を訪問して色紙を届けてくれたこと、今でも覚えています。

思い返してみれば、みなさんとはじめてゼミ飲みをしたのは2023年9月8日の夏季休暇中に行った勉強会の打ち上げでした。実は2020年度以降、ゼミ飲みはずっと自粛していて、3年ぶりに開催したゼミ飲みでした。みなさんが気付いていたかどうかはわからないのですが、あまりに久しぶりすぎてそして楽しすぎて、少々酔っ払いすぎまして、家に帰って真摯に反省しておりました(苦笑)。ちなみにこの時に導入したのが、「ゼミ飲みオンライン出欠確認制度」です。コロナ禍以降、出席を強要するような飲み会はあまり好ましくないのではないかと考え、雰囲気や他の人の出欠を気にせず、出欠を決められる制度にしました。基本的には今もこの制度を継続しています。その後、4年生の時には中間発表打ち上げや口頭発表打ち上げなども行いましたが、オンラインで出席をとった割には多くの人が参加してくれて嬉しく思いました。山登りはタイミングを逃してできませんでしたね。ごめんなさい。


このゼミには勉強が好きな人、そこまで勉強が好きではない人、など多種多様な人たちが集まりましたが、お互いがお互いをきちんと尊重して授業を受講し、卒業研究論文を仕上げる作業を行なっていたのが印象的でした。なぜかはわからないけど、男性と女性の間に目に見えない高い壁があって(笑)、大体並ぶと男性と女性が綺麗に分かれていましたね。何でなんでしょう。理由があれば僕に今度こっそり教えてください。


この学年は卒業後も縁が続く学年でもあって、14名のうち今でも3名のゼミ生とは日常で顔を合わせています。今度再会をする機会があれば、口頭発表打ち上げで壁に落書きをしたエキニシのお店に行って、あの落書きがまだあるかどうかを確認しましょう!


卒業から1年が経過しようとしています。みなさん元気に過ごしていますか?卒業後1年が経つと生活に慣れてくると同時にいろいろと悩みも出てくることかと思います。そんなみなさんに僕が大好きだった義父のことばを送ります。

義父は昔気質の人間で家では亭主関白で、外でも自己中心的(に聞こえる・見える)な言動をすることが多い人でしたが、実は繊細で他人のことを本気で気に掛ける人でもありました。そのため、多くの人から愛されていました。

「楽すれば楽が邪魔して楽ならず 楽せぬ楽がはるか楽々」

このことばは古くから、富山の薬売りの間で受け継がれていることばだそうです。このことばは仕事だけではなく人間関係にも通じることばだと思います。今となっては僕にとっても大好きなことばとなりました。

改めて卒業おめでとう!これからの人生がみなさんにとって輝かしいものでありますように!


2025年3月5日水曜日

2024年3月に卒業したみなさんへ

 2020年に大学に入学し、2024年3月に卒業したみなさん、卒業おめでとうございました!

誰しもコロナに振り回された数年間でしたが、みなさんほど大学生活においてコロナの影響を受けた世代はいません。2020年4月に入学式も無いまま入学し、マスクを着用してソーシャルディスタンスを取りながら恐る恐るガイダンスを終えた途端、いきなり遠隔授業に移行してしまい、入学早々、大学生活を楽しむ機会が奪われてしまいました。オトナたちの中には「後で振り返れば良い思い出になる」とか前向きなことを言う人たちもいましたが、僕としてはキャンパスという貴重な場を奪ってしまった申し訳なさがあり、制限のある中でも最大限に楽しいことをしたりサポートをしたいと考え続けていました。とは言え、コロナ禍の中、対面授業が復活しても遠隔授業に逆戻りしたり、課外活動においても制限があり、本当にもどかしい大学生活だったと思います。

2023年3月13日、マスクを着用するかどうかは「個人の判断が基本」という政府方針が出ました。当時僕は3月13日〜15日の日程でシンガポールに出張に行っていたのですが、往路の機内ではマスクを着用していない、あるいはずれている乗客に対して、客室乗務員が注意をしている光景がありました。でもシンガポールに着くと光景は一変し、サービスを提供する側はマスクを着用しているものの、一般の人たちはほぼ全員マスクを外して生活をしていました。そして復路の機内ではマスク着用率ほぼ0、羽田空港からの飛行機は着用率半分程度(この時までは僕もマスクを外していた)、広島空港からのリムジンバスでは着用率ほぼ100%に戻り、さすがの僕も外圧に負けてそっとマスクを再着用したことを思い出します。

そして2023年4月、この時はまだキャンパスでもマスク着用率はほぼ100%でしたが、僕は強い意志でマスクを外すことを選択しました。マスクをすること自体は苦痛ではなかったのですが、マスクを外すことで何かを変えようと思ったのです。初回の授業でマスクを外して教室に入った時、学生がどう思うかわからずとても緊張していたことを今でも覚えています。そして何もできなかったみなさんのために何か楽しいことを企画しようと考えました(3年次にみなさんはゼミ飲みをしたと思いますが、教員としてはまだ参加する気持ちになれず知らないふりをしていました...)。

2023年7月21日 卒業研究論文中間発表&ビアガーデン



夏になるとビアガーデンに行きたくなるので、僕のわがままをゼミ生に聞いてもらってビアガーデンに行くイベントが4年ぶりに復活!ゼミの課外イベントとしては初だったのですが、みんなの笑顔と話で盛り上がりました。

2023年10月27日 宮島弥山登山





プライベートでは1年に1回ぐらい登っているのですが、何もイベントがなかったゼミ生に何か企画してあげたいという思いでゼミ初の健康的な(笑)イベントが開催されました。当日は雷雨予想で登るかどうか躊躇したのですが、雨雲レーダーを見つつ登山を決行。途中の昼食休憩タイムで雷雨に見舞われたものの、運良く屋根の下で雨にも濡れず、その後雨が止んだので頂上まで登ることができました。雨雲と晴れ間の境界線が綺麗に見える何とも神秘的な光景で感動しましたが、帰りはロープウェーで楽をしようと思っていたのに、雷雨でまさかの運行中止で、みんな泣く泣く帰りも歩いて降りました。僕は元気そうに登山をしていましたが、実は登山後1週間ぐらい筋肉痛で歩くのに苦労したことをここでこっそり白状しておきます。

2024年1月27日 卒業研究論文口頭発表会&打ち上げ


何もかも順調にいくかと思われた2024年1月6日、みなさんご存知の通り自転車事故で緊急入院してしまいました。「昼食会に参加したい人が0名だったので、先生が落ち込んで事故に遭ったんじゃないか」とも言われました(笑)。2週間で退院できたので、口頭発表会と打ち上げは松葉杖同伴で予定通りに開催することができました。「酔っ払って転けたらちゃんと病院まで連れていくので安心してください」という頼もしい言葉をもらったので、しっかりと療養がてら楽しみました。

みなさん元気にしていますか?大学生活は思い通りにいかなかった分、みなさんのこれから先の人生には楽しいことがたくさん待ち受けているはずです。みなさんがマスクを外した顔を見た期間は本当に短かったけど、マスクをしたみなさん、マスクをしていないみなさん、と2回みなさんに出会った気がします。そしてマスクの下にはこんなに素敵な笑顔が隠れていたんだと思うぐらい、どの写真も笑顔で溢れています。これまで以上に楽しみ、ワクワクしながら生きていってくださいね。

2023年3月に卒業したみなさんへ

 卒業から1年以内にメッセージを書くというルールが崩れてしまい、卒業後2年が経過しようとするこの時期にメッセージを書いています。ゼミ生のみなさん、卒業おめでとうございました!11名でスタートしたゼミでしたが、2名が4年次に留学したため、卒業時は9名、うち6名が男性という、なかなかに濃いゼミでした。

3年生のゼミをスタートした時期はまだコロナ禍で全員マスクでしたが、1年生の時にマスクを着けていない顔を見た記憶があったので、そこまで違和感はありませんでした。徐々に制限が緩和されてきていたとは言え、当時はまだ飲み会などできる雰囲気ではなく、3年次のゼミのイベントは0でした。4年生になり社会的にも徐々に活動が許される空気が出てきて、個人的にも出張に行ったり少人数の飲み会に行ったりとし始めましたが、ゼミの教員としてはやはりなかなかイベントを企画することができませんでした。そんな中、留学中の二人とオンラインでつなぎながら、サプライズで25歳(笑)の誕生日を祝ってもらったのはとても良い思い出です。実はマスクを外してケーキを食べるのをちょっと躊躇していましたが...。




このまま授業外で何もしないで終わるのは良く無いと思い、意を決して学内のセミナーハウスを利用して2022年12月6〜7日に「卒業研究論文合宿」を決行しました。日中は情報演習室を利用して執筆、夕方は任意参加の「会食」、夜はセミナーハウスで執筆作業、宿泊も任意(当時はコロナ対応で大部屋を個室で利用できた!)という「基本強制無し」のスタイル。思えば、この時からゼミイベントに関しては強制しない文化ができました。会食後にコンビニにみんなで買い出しに行った時、ゼミ生のひとりが「私たちのことを思って企画してくれたんですよね。ありがとうございます。」と言ってくれた言葉は今でも忘れません。



2023年3月20日には留学から帰ってきたゼミ生を労う飲み会も開催しました。2023年3月13日以降、マスクを着用するかどうかは「個人の判断が基本」になった時期でしたが、集合時には全員マスク着用、飲み会終わりにはみんなマスク無しで笑顔いっぱいでした。


そして卒業から2年が経過しようとしていますが、みんな元気にしていますか?実はこの学年のゼミ生のうち数名は大学に遊びにきてくれたり、少人数の飲み会をしたり、街中で偶然出会ったり、と何かと接点がありました。当時から海外志向を持っている学生も多く、現在海外で暮らしている人も数名いると聞いています。みなさんの益々の活躍を心よりお祈りしています!


最後にメッセージが遅れてしまった言い訳です。みなさんの卒業から1年が経過しようとしていた2024年1月に自転車事故に遭ってしまいまして、2週間の入院、半年に及ぶリハビリ生活を送っていました。後遺症はほぼ0ですし日常生活にも全く支障はない程度に回復はしていますので、ご心配なく。

2023年2月20日月曜日

iPadの画面を教室のプロジェクタに大きく映したい

 コロナの影響がで始める前から授業で利用するもの(電子化したテキスト・スライド・配布資料・映像・音声)の多くをiPadに入れて持ち運び、教室のプロジェクタやディスプレイに投影させるという授業スタイルだった。そしてコロナの影響でオンラインと対面授業を行き来するようになってからは、「次の日からいきなりオンライン授業になっても慌てない」をテーマに、すべての教材教具をiPadに入れて教室に持ち込むスタイルに移行した。こうすると、オンラインでも対面でも授業スタイルはほとんど変わらないので、授業をする側も受ける側もそれほど違和感なく授業を受けれると思ったのだ。

 一方で、いつの頃からか悩み始めたのはiPadをプロジェクタに投影させた時の画面サイズが小さいことだった(以前はちゃんと表示されていたのに...)。MacBookを持ち込んで投影させると問題ないのに、なぜかiPadの画面をスクリーンに投影させると左右に余白ができてしまい、サイズがちっちゃくなってしまう(写真1)。

写真1. 左右に余白ができてしまった画面



 サイズがちっちゃいということは学生からは見えにくいので、それであればMacBookを持ち込んでしまった方がいいんじゃないかと思うぐらい。だけどiOS 16とM1チップを搭載したiPadさえあれば一気にこの問題が解決することを今日発見した。ステージマネージャと外付けディスプレイについてはこのサイトも参照した。操作は簡単。iPadをプロジェクタに接続してステージマネージャ機能をオン(順番は関係ない)にするだけ。左右の余白がなくなり、スクリーンいっぱいにiPadの画面が投影される(写真2)。

写真2. ステージマネージャオン



 この状態では、プロジェクタのスクリーンが外部ディスプレイと同じ扱いになっているので、手元のiPadで開いたアプリは投影されないけれど、スクリーン側の画面でアプリを開くか、iPadで開いているアプリの画面をスクリーンに移動させれば、無事にスクリーンに表示される。Safariなどのアプリを開いてみるとその違いがよくわかる(写真3・4)。

写真3. スクリーンマネージャオフ



写真4. スクリーンマネージャオン



 ステージマネージャではなく今まで通りミラーリングしたい場合には、ステージマネージャをオフにするか、「設定」>「画面表示と明るさ」>「配置」>「画面をミラーリング」をオンにすれば良い。

 今までAppleシリコン搭載のiPadのメリットをあまり見出せていなかったけれど、今日で一気に愛着が湧いた。センターフレーム機能と組み合わせるとハイブリッド型授業も手軽にできるだろうから、2023年度の授業が始まったら試してみたい。

2023年2月15日水曜日

2022年3月に卒業したみなさんへ

 2022年3月に卒業したゼミ生のみなさん、卒業おめでとうございました。英語英文学科のゼミ生は原則1クラス15名以下なのですが、この学年は留学から帰ってきた学生もいたため、なんと20名。写真を見返すとやはり多い!

ゼミがスタートする3年次に新型コロナウイルスの影響が始まりました。通常3年次の前期に飲み会をして親睦を深めるのですが、それもできないまま前期のオンライン授業(ゼミ)が終了。僕自身ゼミをオンラインでやるなんて想像したこともなかったので途方に暮れましたが、みなさんも慣れないことだらけで大変だったことと思います。でも会ったことがないにもかかわらず、なぜかゼミとしてきちんと成立していた気がするのは僕の気のせいでしょうか。3年次後期になり対面でのゼミが復活しましたが、ゼミで行うポスター発表や卒業研究の中間発表などなど、実施方法にかなり苦慮したことを思い出します。ゼミ生から「ゼミで飲みに行きたいです」と言ってもらったこともありましたが、感染者の増減で社会の雰囲気が一変する状況の中では、ゼミの指導教員として飲み会を企画することができませんでした。

4年次になってもその状況は変わらず、結局この学年はコロナの影響で2年間のゼミの間、ゼミとして行った課外活動は0でした。その代わり何かしてあげたいという思いもあったので、オンライン雑談、登山企画(企画だけで実施できず)、大教室を貸し切っての500円買い出し企画(僕の500円貯金が原資)、などなどできる範囲でやったきたつもりです。最後の口頭発表も結局オンラインになってしまいましたが、3時間を超えるオンライン発表会も、みなさんは見事に成し遂げました。

20名いたにもかかわらず卒業研究論文の指導は思ったよりも大変ではありませんでした。それは何よりもみなさんの卒業研究への真摯な取り組みによるものだと思います。写真を見てもわかるように、ゼミの雰囲気も非常に良かったように思います。コロナ前(マスク時代前)からみなさんの顔を知っていることもあり、マスクはしていてもみなさんの笑顔がマスクの下から透けて見えていたような気がします。みなさんの笑顔には本当に救われました。ありがとう。

授業外で話をすると面白いだろうなあと思うキャラの人もたくさんいましたが、課外での活動を行うことができなかったことがとても残念です。集まれる人だけでも良いのでいつか飲み会を企画しないといけないですね。





2年遅れではありますが卒業おめでとうございました!

 例年、ゼミ生のみなさんが卒業してから1年以内メッセージを送っていたのですが、今回は気付いてみたらなぜか2年も経過してしまっていました。ちょっと驚き。

遅ればせながら2021年3月に卒業したゼミ生のみなさん、卒業おめでとうございました。ゼミは3年次から始まりますが、3年次のゼミは順調にスタートしました。真面目な人、おっとりしている人、ユーモアのある人、などなど大澤ゼミならではの個性ある学生が集まっていましたが、それぞれの個性がぶつかりあうことなく融合していて、教員としても何だか居心地の良いゼミ(空間)だったことを思い出します。ゼミ飲みは3年次に1回(?)しか開催できませんでしたが、4年生になって何回か一緒に飲みに行ければ楽しいだろうなあと感じていました。

そこから雰囲気が一変したのが2020年の春でした。新型コロナウイルスの影響が出始めて、2020年度前期授業のオンライン実施が決まりました。いきなりのオンライン授業、しかも就職活動も思い通りにいかない中で、本当に大変だったことと思います。旅行業界に就職を希望していたものの諦めたゼミ生もいました。すべてがわからずすべてが手探りでした。

4年次のゼミはオンラインで始まったものの居心地の良い空間のままでした(少なくとも僕にとっては)。オンラインということで学生の顔出しは強要していなかったため、ゼミ生の顔は見えず寂しい思いもしましたが、ゼミ生の元気そうな声、僕のしょうもないボケに対する優しいツッコミ、など小さなことに毎回救われていました。

後期になり対面での授業が再開できるようになり、4年次ゼミは当然のことながら対面実施にすることにしました。「オンラインでの参加も可」にしていたため、全員が集まらない回もたくさんありましたし、12月14日(月)からまたもやオンライン授業に逆戻りし、そのまま会えなくなってしまったので、いろいろと消化不良のまま終わってしまいましたが、何とか全員無事に卒業研究論文を提出できたことを嬉しくそして誇りに思っています。

卒業から2年が経ちましたが、みなさん元気に過ごしていますか?

みなさんが卒業した後の大学について書いておくと、2021年度は「100名以下の授業は原則対面」ということでスタートしましたが、キャンパスにいる学生はまだ少なく、感染者増加の時期には気苦労が絶えませんでした。マスクをしたままの生活、大学キャンパスでの集団ワクチン接種、授業は対面で行うもののそれ以外の課外行事はほぼすべてオンライン、などなど通常に戻ったとは言えない毎日が続きました。2022年度は「300名以下の授業は原則対面」になり、ほぼ通常通りのキャンパスの光景が戻りました。まだまだ制限は残っていますが、少しずつ日常を取り戻せている気がします。みなさんが卒業してから2年もかかりました...。

前年度には中止になった学位授与式も無事に実施されてみなさんに会えた日のことは今でも覚えています。ブログにはあげていませんが、ふさげたポーズで撮った写真も手元のたくさん残っています。今写真を見返すとマスクにも時代の変遷を感じますね(笑)。また会いましょう!