2008年12月26日金曜日

言語習得について(過去のブログから)

 2007年1月21日にとあるブログに書いていた2つのエントリーを無くさないためにこちらにお引っ越し。

19年ぶり発見の娘…半分野生化 カンボジア
2007-01-21 00:41:30
テーマ:ブログ
1月19日に産経新聞より配信されたニュース。短いので引用を。

【バンコク=岩田智雄】カンボジア北東部のラタナキリ州で19年前に行方不明になっていた少女が18日までに無事に保護された。少女は現在27歳。言葉はほとんど話せず、与えられた衣服を脱いでしまうなど半分野生化した様子だという。 

 AP通信によると、この女性はロチョム・プニンさん。1988年、8歳のときに家畜の水牛の群れを追ったまま行方不明になった。同州の村で最近、弁当箱から食べ物がなくなる被害が相次ぎ、村人が付近で張り込んでいたところ、米を盗もうとした女性を発見。父親が腕に残った傷跡で、行方不明となった娘と確認した。

 父親は娘の様子を「かがんで歩く姿勢がサルのように変わっており、骨と皮しかない。目はトラのように赤い」と話している。

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人間は遺伝子によって成長するのか、あるいは環境によって成長するのか、という議論があるけど、このニュースを見る限りは、やはり環境の果たす要因は大きい。ポイントとなるのは「言語はほとんど話せず」という所。普通に成長した日本人であったとしても、日本語に触れる機会が無い環境に数十年間いれば日本語を忘れてしまうのは、数十年ぶりに帰還した日本兵の人(名前忘れた)や数年前にロシアかどこかから帰ってきた人の姿を見れば一目瞭然。

このような悲しいニュースも言語学者の目から見るとまた違う視点が。そもそも言語を習得するには思春期が目安と言われていて、思春期を過ぎると言語を習得するのは無理だという意見がある。それを何とか実証したいけれども、思春期まで言語を喋らない人なんて普通にはありえない。。。けれども、以前にもいたんですね、そういう人たちが。

例えばジーニーという女の子。この子は虐待により小部屋に閉じ込められ言葉に触れることが無かったという子供。あるいはアマラ、カマラという女の子は狼に育てられ、発見されたときには生肉を食べたり、うなり声を上げたり、言葉はほとんど話せない、まさに野生の動物そのものだったとか。

この2つの例は非常に有名な例なのですが、そこで何をするかというと、言語学者がしゃしゃり出て来て、助けてあげるふりをして(語弊があるか)観察する訳ですね。そして、どちらの2例においても言語を習得することができなかったから、ということで、「ほら、やっぱり思春期を過ぎると言語は喋れないでしょ」という結論に。

おそらく、今回も言語学者たちは興味津々のはず。まぁ、今回ばかりは対象が27歳なので、はっきり言って言語の習得はまず不可能でしょうが。。。

言語学をはじめとして、科学と名がつくものは実は残酷なものなのです。しかし、どうなんだろね、27歳にもなって発見されたこの子は幸せなんだろうか。。。おそらく順応できず辛いことばかりだろう。でも、一度発見した限りは、野生に返してあげるなんてとんでもない、という話になるだろうしね。

Genieの話
2007-01-21 01:48:27
テーマ:ブログ

言語習得の世界ではあまりにも有名な話、Genie(ジーニー)。実際「ことばを知らなかった少女ジーニー―精神言語学研究の記録 」という本も購入したけど、読む時間が取れていなかった。

ということで、Wikipedia(英語版)から備忘録的にまとめておきたい。

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1970年11月4日 アメリカで野生化した状態で発見される。

ジーニーは1957年生まれ。名前は未公表。両親のうち、母は視覚障害、父(妻の20歳年上)は自分の母親がひき逃げされたショックにより精神的に不安定。ジーニーは生後20ヶ月のとき、医者に「軽い知能障害の恐れあり」と診断される。父親はそれを「重度の知能障害」と思い込み、子供を守る名目でジーニーを閉じ込めることにした。

ジーニーは彼女の人生を寝室で閉じ込められて育った。昼間はおまるにおしめをした状態でしばりつけられ、夜は寝袋に入れられた状態で金属製のふたのついたベビーベッドに閉じ込められたのある。父親は、彼女が声を上げようとする度に折檻を加え、犬のような唸り声をあげてジーニーを威嚇した。また母親や息子にもジーニーに話しかけることを禁じました。その結果ジーニーは「やめて(stopit)」や「もういや(nomore)」といった言葉以外は喋らなくなったのである。

ジーニーが発見されたのは13歳のとき。母親が彼女を連れて家から逃げ出したのである。母親はジーニーを連れて、盲目の人に与えれる補助金が得られるかどうかを確かめにカリフォルニアの福利厚生施設に行った。そこでソーシャルワーカーがジーニーを見たとき、おそらく6,7歳で自閉症なんだろうと思ったらしいが、実際には13歳だとわかったとき、慌てて上司に報告をし警察に通報した。両親は幼児虐待で告訴され、ジーニーは小児病院に入院した。父親はジーニーが発見された直後、自殺をしてしまった。

人生ではじめて解放されたジーニーは、手を顔の前に出し飛び跳ねたりする「うさぎ跳び」をやるようになった。それよりも困るのは所構わず自慰行為をすることであった。そして自慰行為をするために必要なものを執拗に欲しがった。

このような状況にもかかわらず、病院のスタッフは彼女が回復することを願っていた。そしてこの事件が有名になったとき、果たして言語習得の年齢に限界はあるのかどうかが興味を持たれるようになった。数ヵ月後、1語レベルの発話はできるようになり、服も着るようになったため、誰もが成功を確信した。このプロジェクトを進行させるため、心理学者が代理親の役を買って出た。

最初の里親になったのはJean Butlerである。しかし、これは彼女が自分自身が有名になりたいという陰謀であったともうわさされている。Jeanは病院においてジーニーの教師をしていたが、ある日自身が水疱瘡にかかっている疑いがあり、ジーニーに感染してしまったかもしれないと主張する。そして、ジーニーを隔離するために自分の家に連れて帰ったのだ。最初は一時的なものの予定であったが、それを恒久的なものにして欲しいと彼女は請求した。Jeanは他の病院スタッフの接触を遠ざけ、自分自身でジーニーを観察した。そこで記録に残したのが、彼女がものを溜め込むという性質であった(虐待された子供によく見られる症状)。

彼女はその後里親になる権利を主張したが、却下された。

次の里親になったのは、セラピストDavid Riglerであった。そして彼の妻Marilynが教師の役割をつとめた。結局ジーニーは4年間この家庭ですごすことになったが、怒りをコントロールすること、簡単な手話、そして言葉で表現できないときは絵を描く、そして笑うことを覚えた。この時期には自分の虐待の様子についても受け答えができるようになった。以下は一例。

MARILYN RIGLER: Where did you stay when you lived at home?   
Where did you live? Where did you sleep?
GENIE: Potty chair.
MARILYN RIGLER: You slept in the potty chair?
GENIE: Mmm-hmm. Potty chair.

しかし1974年、このプロジェクトを支援していた研究所は研究の成果が見られないとして、補助金の削減を決定。Davidも里親を続けることを諦めた。この時点でジーニーは文法も習得できておらず、「アップルソース、買う、お店(Applesauce buy store)」レベルの発話しかできなかった。

1975年、ジーニーは再び母親のもとに戻るが、あまりにもジーニーを育てるのが難しかったため、今度は児童保護施設を6箇所も転々とすることになる。いくつかの場所では虐待されいじめられたため、彼女はまた黙り込んでしまうという状態に逆戻りしてしまった。また新たに口を開けなくなるという症状も付け加わった。これは、ある日ジーニーが吐いてしまった時にひどい処罰を受けたため、それを恐れてのものだと考えられる。

さすがに、研究の成果を追求することばかりに躍起になっている研究者たちに嫌気がした母親は研究者を訴えた。訴訟は解決したが、研究の記録はここでとだえている。

彼女は現在カリフォルニア在住。保護された成人保護施設で暮らしている。場所は明らかにされていない。母親は2002-3年に死亡。兄もどこかで生存している。
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今まで概要しか知らなかったけど、まとめてみると「事実は小説よりも奇なり」という言葉がよく当てはまる。

虐待を受けると現れがちな症状。というのは現代にも共通する気がします。

言語学的視点から考えると「言語の習得には年齢の限界がある」という結論に結びつけるのはちょっと難しいかも。だってまず最初にお医者さんが「軽い知能障害の恐れあり」と言っていること、あとあれだけ非日常的な毎日を過ごしてきた人が普通に言語を習得する、というのはやはり不可能ではないか、と。。。だから年齢=言語習得、というよりも環境=言語習得、という関連の方が強いのではないだろうか。

2008年12月10日水曜日

時代は無料へ

大学教員として研究に必要なハードウェアやソフトウェアに年間莫大なお金を注ぎ込んでいる訳なのですが,一昔前ノートパソコンが数十万円した時代から比べると,携帯電話のカラクリならぬイーモバイルが仕掛けた100円パソコン(もちろん最終的には数万円払わざるを得ないのだけど)をはじめとして価格破壊が起きてきました。

 ということで,普通ならお金を払うべきものが無料で手に入ってしまうものの中で気になっているもの(既に試した物も含む)を幾つか。

OS:Ubuntu(http://www.ubuntulinux.jp/
 Linuxの一種。インストールした時点でワープロ等必要なソフトは全部インストールされている。インストールにちょっと手間取ってしまうかもしれないけど,視覚効果など使って楽しいOS。学会発表なんかで使うと驚かれること間違いなし。一応たまーに使ってみるのだけど,完全に移行する勇気は無し。

ワープロ:OpenOffice(http://ja.openoffice.org/
言わずもがな。マイクロソフトの陰謀から逃れましょう。しかし微妙にフォーマットがずれるのかなぁと考えるとやっぱりマイクロソフト製品を使ってしまう。。。

統計処理:R
 とにかく凄いのですよ。通常なら数十万円する物が無料なんですから!但し上級者向け。僕はダウンロードして挫折しました。誰か使い方教えてくれー。

Google(http://www.google.com/
 メールやらカレンダーやらブックマークやら。カレンダーはmacのicalと同期可能。オンライン上にデータを置くことで場所を問わず仕事を効率的に行えるようになります。但しデータ流出の問題もあったので注意は必要。

ZOHO(http://www.zoho.jp/
 タスク管理やメールなど。なんでもかんでも出来てしまうのです。

オンライン付箋サービスlino(http://linoit.com/
 付箋をデジタル化して覚え書き。

Remember The Milk(http://www.rememberthemilk.com/
 オンラインでタスク管理。googleカレンダーとも連携しています。

 その他無料のソフト一覧なら,
http://sourceforge.jp/
 USBメモリに入れて持ち運べる無料ソフト一覧なら
http://portableapps.com/

 などが便利。最近仕事の大部分がコンピュータ,特にオンライン上に移行。個人情報はさすがにオンライン上には上げないのだけど,時代は変わったもんですな。

2008年12月8日月曜日

大学教育学会課題研究集会雑感その2

2日目

『大学人』能力開発に向けてー国立大学の現在ー」
 シンポジストは東京大学貝田綾子氏,山形大学山崎淳一郎氏,京都大学山本淳二氏,東北大学羽田貴史先生。職員さんがそれぞれの大学の現状を説明してくれたのだが,興味深かった事柄を箇条書きしておく。

東京大学
職員数:7600名(教職員4000人,職員3600人)

・ワーキンググループの設置及び業務改善提案の募集。
・優秀な提案は表彰する。
・目安箱の設置。
・「東京大学職員キャリアガイド」の作成
(学校経理研究会より販売1050円)

山形大学
・平成9~13年度における入試過誤(不合格となった受験生428名,合格となった学生41
 3名)を契機に改革。
・エリアキャンパスもがみ:大学固有の教育施設を持たない。

京都大学
(省略)

羽田貴史先生「国立大学事務職員論から「大学人論」へ」
 話がとにかく面白かった。大学教員でこうした研究をしていることが興味深い。しかし偏見かもしれないが,国公立大学には独特の閉鎖性があると感じた。


「FDのダイナミックスーFDモデル構築へむけた今後の課題」
シンポジストとして名古屋大学夏目達也先生,京都大学田中毎実先生,元ICU学長絹川正吉先生,コメンテーターとして立教学院本部調査役寺崎昌男先生,司会者として慶応義塾大学井下理先生,京都大学大塚雄作先生。

FDが努力から実施義務へと変わることにより,今後の方向性について提言が行われた。詳細省略

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 第1日目は非常に興味深かったが,2日目に関しては事実確認的なことが多かったので,自分の意見を言うというよりは勉強をさせてもらった。専門領域の人たちで集まって細かい部分を突き合う学会が多い中で,専門領域の枠を超えて,また教職員の枠を超えて意見交換をし合うというこの学会こそがまさに今後の大学のあるべき姿を示そうとしているのかもしれない。「教える」ということに関心を持っている人が多い学会(のはず)なので,的外れな質問,訳の分からない質問,聞き取れない質問,などに関しては容赦なく指摘があるというのも面白い。というか,そういう聞き手のことを全く考えていない質問を多くする人がこういった学会にもいるんだなぁというのが驚き。印象に残ったのは哲学を専門にされる先生方の発言が多かったこと。教育=哲学という構図は当然のことではあるのだけれど,他の学会ではなかなか見られないものだけに面白かった。

大学教育学会課題研究集会雑感その1

 2008年12月6日(土曜日),7日(日曜日)に岡山大学で行われた大学教育学会課題研究集会に参加した。こういった学会があるということさえ知らなかったのだけれど,現在の勤務先でしている仕事の関係から初参加となった。個人会員で950人,そして当日も350人が参加するなど盛況であった。
 今回の統一テーマは「学生の主体的な学びを広げるために」で,1日目に4時間にわたる開催校企画の特別シンポジウム,二日目は2会場に分かれて「学士課程教育の改革へのアプローチをどのように進めるか」,「『大学人』能力開発に向けてー国立大学の現在ー」,「FDのダイナミックスーFDモデル構築へむけた今後の課題」,「科学技術リテラシー教育と『学士力』の育成」のそれぞれのテーマでシンポジウムが行われた。以下自分が参加したシンポジウムの概要と感想。

開催校企画特別シンポジウム「学生の主体的な学びを広げるために」
 シンポジストとして岡山大学の学部生小林歩美さん,読売新聞社東京本社記者の松本美奈さん,京都市立堀川高校校長荒瀬克己先生,岡山大学教育開発センター教授の橋本勝さんが登壇し,それぞれ約20分程度で発表を行った後,京都大学高等教育研究開発推進センター教授の松下佳代先生がショートコメントと称してコメントをしていく形式。司会者は倉敷芸術科学大学の小山悦司先生,くらしき作陽大学の山野井敦徳先生であった。

小林歩美さん「学生は自主的な学びができている」
 授業以外に学生がどのように自主的に勉強しているかを,友人たちから聞いたエピソードをもとに紹介。発表がどうとか言うよりもしっかりしている学生さんだなあと思った。

松本美奈さん「学生の主体的な学びのために」
 「大学の実力 教育力向上への取り組み」という全国調査に携わっている人。その結果を交えながらの報告。学生の「負け犬意識」をいかに取り除くか,そのために発言をした人にクラス全員が拍手をしてあげるなどの試みをしている授業もある。学生を変える鍵は,教育に関わる人に夢があるか,夢を語れるかということ。大学だけではなく,初等,中等教育との連携も必要であると主張されていた。研究者ではないので非常に分かりやすい発表であった。ただこういった全国調査を首都で行っている人は地方大学での取り組みを客観的に評価してくれているのだろうかという疑問は残る。

荒瀬克己先生「内発を促す外発の模索」
 外部から見るように堀川高校は一流の学生ばかりが入ってくるのではないということ(偏差値50以下~70までの多様性)を提示した上で,探究科と呼ばれるコースを設置し主体的に学ぶ学生を育成する試み等を紹介された。大学に責任を押し付けるのではなく,高校として質を保証していくという考えには共鳴できた。高校教育における二兎(入試実績と本来の高等教育)を追いかけることなどについても話をされたが,とにかく話の面白い人,キーワード的な発言の多い人,聞いていて飽きない発表。

橋本勝先生「主体的な学びにおける自由度」
 teachingからlearningへの流れを実践し,教えることから撤退し,橋本メソッドを確立したと主張された。よく二項対立で「teachingあるいはlearning」,「知識の伝達あるいは学びの支援」,「強制あるいは自由」などと論じられるが,あれあるいはこれといった議論に陥らないことが必要であると言われていた。今回の課題研究集会の前後に実際の授業参観ができたのだけれど,残念ながら参加は断念。本が出版されるらしいです,近々。

松下佳代先生「主体的な学びの原点」
 それぞれの先生方の発表をまとめられた上で客観的な解説をされた。「主体的な学び」という時には「能動的学習」と「学生参画型授業」の2つのアプローチがあるということ。そして「主体的な学び」は「質の高い学び(deep learning)」を保証するのかという問題。その際には外から観察できる外的側面と精神的な活動である内的側面を区別しておく必要があるということ。学びを促すためには認知的,社会人知的コンフリクトが重要であることも指摘された。
 個人的には非常に参考になった。今まで自分が授業をしていてもやもやしていたことが文字化されてすっきり。

 この後休憩をはさみ橋本先生の授業を実際に受講している学生も交えて討論が行われたのだが,教員にとっては非常に分かりやすいテーマであったため盛り上がった。内容は盛り沢山すぎるので割愛するが,興味深かった言葉等を列挙しておく。

・自由といえども学ぶ側の自由であって教える側の自由ではない。自由を保障するためにはそれ
 なりの仕組みが必要。
・何を学ぶかをゆるやかに設定
・育てたように育つ
・高大接続テスト(仮称)を検討中
・学習習慣が身に付いていない=否定的に捉えるだけではなく肯定的にも捉えられる。
・評定ではなく評価に価値がある
・水は低きに流れるが学びは高きに向かう
・1浪当然,2浪悠然,3浪呆然,4浪唖然,現役偶然
・橋本先生の授業は面白いが,聴講する理由の1つは楽勝科目だから

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 「主体的な学び」=「質の高い学び」なのか,主体的な学びじゃなきゃだめなのか。教えることにおいては強制的に何かを学ばせる仕掛けも必要なのではないだろうか。自由に学ばせるだけでは,学生は学んだ気になっただけで学んでいない場合も多い。そういった意味においては「主体的な学び」にみせかけた教育を行うことにより,「学んだ実感」を体験させるという表現の方が個人的にはしっくりくるかもしれない。

2008年12月3日水曜日

景観の破壊

 全国的に有名になっているのかどうかは知らないけれど,福山市の架橋問題には関心がある(
参考:「鞆の浦の埋め立て架橋問題」http://swan.srv7.biz/tomo15.htm)。それに対する藤田広島県知事の「あんな景観どこにでもあるでしょう」的な発言も非常に気になる。結局景観を壊してまで橋をかけるのでしょうか。利便性を追求するのにも一理あるにせよ,もう少し慎重な姿勢があっても良いんじゃないでしょうかね。自然を壊すのは簡単だけど,回復させるのはとても大変なのだから。これは最近話題になっている道路の建設に賛成する人たちにも言えることではあるけれど。
 日本の現状を憂うAlex Kerrさんの著書は読んでみる価値があると思う。彼の意見にも賛否両論あるのだろうけれど,個人的には共感する部分がとても多いのです。周りを見渡せば鉄塔だらけ(この前外国から来た人もあまりの鉄塔の多さに驚いていました)。日常に疲れて自然に触れようと思えば車に乗って長旅をしなければいけない現状は考え直すべき。そして結局は辿り着いても観光地化されており,人工的で無味乾燥な場所になってしまっていたり。
 人口が今後減っていく日本において経済的な裕福さだけではなく,精神的な裕福さを追求する時代になると良いと思う。自然を見れば心が癒されるのは万人共通。空き地が出来れば建造物を立てるだけではなく,必要なくなった建造物を取り壊して緑地化するなんてアプローチがあっても良いのでは。まあ,素人の浅はかな考えではあるけれど。。。

「Alex Kerrさんのホームページ」http://www.alex-kerr.com/www_index.html

2008年11月27日木曜日

書き初め

 日記の書き初め。今までホームページを作ったりブログを書いたりはしていたけど,今後はこちらにシフトしていく予定。
 今年度は物理的にというよりは精神的に多忙だった。大学での仕事量の増加,家庭での仕事量の増加。そのため,なかなか余暇を楽しむ気持ちになれなかったのだけど,年末を目前にしてようやく落ち着いてきた感じ。でも「あっ,年賀状書かなきゃ」とか「今年の汚れは今年のうちに!(仕事もプライベートも)」と思い始めてきた時点でまた来月はドタバタしそう。
 今月は週末に従兄弟の結婚式やら大学の業務やら教え子の結婚式やらあった。今の勤務先に勤め始めてはや7年。勤め始めた頃は年齢も近く友だち感覚で接していた学生たちが卒業し,結婚や子どもを授かったという話を聞く度に,年月の流れを感じます。「あぁ,おっさんじゃ,わしは」という自分と「まだ若いわ!」という葛藤と戦う日々。肉体的には嫌でも成長(老化?)するけど,精神的には成長したのかなあ。。。確か今年の始めに書いた抱負は「飛躍」だった。飛ぼう努力したか?あるいはしなかったのか?あるいはそもそも飛べない鳥なのか(笑)?

 ま,そんなことを考えつつ来月には始まるであろう忘年会シーズンを楽しみにしよう。今の所予定はほとんど入っていないのでお気軽にお声をおかけくださいませ。

2008年11月6日木曜日

JALT Conference 2008 in Tokyo学会発表

 10月31日から11月3日の連休ど真ん中に開催されたJALTの学会に参加した。今回初めて参加した学会ではあるが,英語母語話者を中心とした学会であり,日本国内で開催されたものの非常に国際色豊かな,また日本の学会とは異なったフレンドリーな学会であった。主に研究発表というよりは実践を紹介するものが多い。

今回は同僚とともに“Making the most of the electronic dictionary”という題目で25分間の発表を行った。私が担当したのは,英語を専攻とする大学1年生124名及び1年生を教えている教員19名(日本人教員11名,外国人教員9名)を対象に行った電子辞書に対する意識調査の結果の紹介。学生が知っている機能と利用している機能の間には大きな差が見られ,電子機器としての操作には慣れているものの,語彙習得のための道具としては使いこなせていない実態が明らかになった。またせっかく複数の辞書が搭載されていても,英英辞典や類義語辞典等はあまり使用していないのである。

この結果を基に,同僚が電子辞書を有効に使うための活動案を提示した。好む好まざるにかかわらず多くの学生が電子辞書しか使わない現状においては,このような「使い方」をトレーニングする必要性があるのではないだろうか。

マイナーなトピックにもかかわらず用意していたハンドアウト30部は,2部しか残らないほど盛況であった。

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その他発表で気になったもの。

Grogan, Myles. Can portable applications mean English anywhere?

今やソフトウェアはコンピュータにインストールするのではなく,USBにインストールし持ち運ぶ時代。この発表ではそういったテクノロジーが紹介されていた。

持ち運べるソフトの一覧
http://portableapps.com/
画像加工ソフト
http://www.gimp.org/
フラッシュカードソフト
http://www.mnemosyne-proj.org/

その他エクセルでのクイズの作り方など。発表者は実際に学生にソフトウェアをインストールさせ,授業において活用しているようだが,その効果については触れられなかった。

Tuzi, Frank. & Lynn, Michael. Effective writing and responding online.

オンライン上でコメントのやり取りなどを行えるテクノロジーの紹介。何がeffectiveなのかは不明。

Murray, Jill. Teaching pragmatics for test preparation.

英語において語用論的能力を測定することの必要性。

Taferner, R. H. Peer collaboration in EFL writing.

peer feedbackの有効性をついて事前,事後のアンケート,インタビュー等を基に検証したもの。博士論文の一部らしい。テキストの分析等は今後行うらしいが,方法論は包括的かつ質的なもので興味深かった。

Fukada, Yoshifum. Statistical analyses of imagined communities.

学習者が将来なりたいイメージを明確に持っていれば英語に投資する(invest)時間も増えるという考え。今までの研究においては質的なものが多かったので,本発表においては量的に検討してみようという試み。今回の学会で聞いた中では唯一研究発表らしいもので興味深かったが,「英語の教員になりたいなどの明確なイメージを持っていれば英語学習に投資する時間も増える」という結論は当然と言えば当然。

Barrow, Jack. Electronic dictionaries in interaction.

学習者が英語で対話している際の電子辞書の利用について。発表者本人も言っていたが,元は会話分析をしようと試みたものがあまりうまくいかなかったらしい。このことからやはりタスクの設定は重要だと感じる。実際スピーキング能力についてというよりは,学習者が電子辞書をどのように使うかという所に焦点が移動してしまっており,わかりにくかった。この辺りは聴衆の中からも同様の意見が多数出た。

全国英語教育学会in東京

8月9、10日に東京の昭和女子大学で行われた。例年発表者も含め300人(?)程の研究者や教員が参加するという英語教育の分野においては最も大きな学会の1つ。今回は開催地が東京であったことも影響したのか、例年よりも参加者数が多い印象を受けた。今回は1週間のうちに3つの学会に参加したのだけれど、各学会において独特の雰囲気があって面白い。全国英語教育学会は大学院生の頃から参加している学会であり、毎年のように顔を合わせるメンバーも複数いるので研究においては「我が故郷」という感じがする場所である。研究の文化としては大学院生などが研究発表を練習として行う場合が多いせいか、未熟な発表に対しては厳しい批判がされることも多い。

ここでは今回参加して聞いた発表の中で気になったものを備忘録として残しておく。

葉田野不二美「日本人大学生の自由英作文に出現する助動詞」
 語彙力があることは表現力があることであり、心情描写をする語の一つである助動詞を使いこなせることと語彙力があることの間には高い相関関係があるのではないかという前提のもとに行われた研究。リサーチ・クエスチョンとしては1)助動詞の使用頻度の変化および助動詞と学習者レベルとの関連、2)助動詞の認識的用法の使用はレベルと共に増加するか、3)確実性の度合いを表す助動詞使用の幅は広がるか、4)助動詞のエラーと学習者レベルは関係するか、であった。結果、語彙力のレベルがあがるに従って1)~3)に関しては使用の増加がみられたが、4)に関してはレベルが上がってもエラーの減少は見られなかった。

安藤貞雄の法助動詞の意味や用法の分類に倣い、投野(2007)の研究にも言及するなど、テキスト分析の中で特定の項目(今回は法助動詞)に焦点をあてた研究として非常にオーソドックスなもので好感が持てた。但し、法助動詞の使用=語彙力のサイズとして単純に捉えてしまってよいのだろうか。質問の時間に誰かも述べていたように、タスクのトピックなどによっても助動詞の種類や使用頻度は変化してくるのではないだろうか。とは言え個人的にはこのような研究を将来的に行いたいこともあり、非常に参考になるものであった。

馬場千秋「大学生英語学習者の英作文に見られる日本語翻訳の影響」
 英作文は英語→英語ではなく日本語を介して書く。そこで日本人大学英語学習者の書いた英作文のエラーのうち1)日本語翻訳の影響と考えられるエラー、2)日本語と英語の言語規則の違いによって起こっていると考えられるえらー、を抽出しその実態を明らかにすることもが目的。2001~2006年入学者1~4年生400名に対し前期は4コマ漫画、海外ドラマの一部の描写、後期は意見陳述などのタスクを与えた。1回目に書かせた課題に教師がフィードバックを与え学生はそれに修正、追加を行いコンピュータで完成版を提出する。辞書の使用は許可されているが、翻訳ソフトの使用は禁止されている。なお、今回の分析対象は1回目に提出されたもので、時制、相、文法についてタグ付けを行いWordsmithで分析を行った後、日本語の影響を受けていると考えられるエラーを抽出する。

1)日本語翻訳の影響と考えられるエラー

1)語順、2)主語省略、3)動詞省略、4)「僕はうなぎだ」式、5)「~している」、6)品詞などの間違い

2)日本語と英語の言語規則の違いによって起こっていると考えられるエラー

1)be+動詞、2)自動詞・他動詞、3)能動態・受動態

このような学習者が産出したテキストの分析に「日本語(母語)の影響」を取り入れたのはContrastive Rhetoric時代の懐古主義的なところがあり、逆に新しいのかもしれない。けれども、日本語の影響=エラーという図式が実際に成り立つのかどうかは推測の域を出ないのではないだろうか。例えば「~している」という日本語表現から進行形を間違って用いてしまうというのは確かに日本語の影響かもしれないが、その他のエラーに関しては日本語の影響だけであるとは言い難いのではないだろうか。

広瀬恵子「ライティング指導におけるピアフィードバック-学習者はどうフィードバックしあうか-」
ピアフィードバックの有効性と問題点についてLiu & Hansen (2002)を参考にまとめた上で学習者はピアの英作文にどのようにフィードバックし、またどの点に焦点を当てるかについて調査を行った。参加者はピアフィードバックを行ったことのない外国語学部非英語専攻生15名で授業中の前半45分を用いて英語でピアフィードバックを書面と口頭の両方で行う。順番としてはパートナーの英作文を読んでReader Response Sheetにコメントを記入し、その紙を交換した後口頭で行う。授業の後半においては英文パラグラフの構成について学ぶ。また作文とResponse sheetの両方に教師がフィードバックを行う。

Sheet
  1. 1.Underline the topic sentence (the sentence that states the dominant idea).
  2. 2.Explain what you like.
  3. 3.Describe where you are confused and wavy underline the words / phrases you do not understand.
  4. 4.Write what you would like further details about. Write any other comments if you have them.
シート147枚とフィードバックした英作文を2名の研究者が分析。インタラクションの分類はMendoca & Johnson (1994)の分類を基に修正したもの。

6 categories = questions, explanations, restatements, suggestions, grammar corrections, reactions,

7 aspects = content, vocabulary, sentence, grammar, paragraph, mechanics, overall


結果、学生は多様なフィードバックをしており、1番多かったのは内容に関するものであった。フィードバックにおいては個人差が見られたが、書面によるフィードバックは多様なインタラクションを生み出し、授業で学んだパラグラフ構成など英語知識を使いお互いに教えあう協同学習の場となりうる。

系統だった分かりやすい研究発表であった。但し研究において気をつけなければいけないのは、自分の主張を正当化するために先行研究における概念をあまりにも単純に使用してしまうことではないだろうか。例えばピアフィードバックにおいては社会文化的アプローチの概念がその根拠として用いられることが多いが、「最近接発達領域(ZPD)」という概念をあまりにも安易に使うと誤解を招きかねない。個人的には英語でフィードバックをさせるという考え方は賛成(他の研究では日本語でさせるものが多いから)。

Liu, J. & Hansen, J. 2002. Peer response in second language writing classrooms. The University of Michigan Press.

Mendoca, C.O., & Johnson, K. E. 1994. Peer review negotiations: Revision activities in ESL writing instruction. TESOL Quarterly, 28, 745-69.

Kondo, Yoshiko. Peer feedback through Bulletin Board System (BBS) in a college writing class.

2002年及び2005年に行った調査と今回のものの間に差があるかどうか、またBBSを用いたピアフィードバックのメリット・デメリットは何かについて調査したもの。参加者は32名で、4人×4つの実験群と同数の統制群に分け、意見文について英作文を行わせた。分析対象はBBSにおけるコメント、推敲による変化、そして質問紙である。BBSにおけるフィードバックのカテゴリーはStanley (1992)に基づきCONTENTにおいてpointing, advising, collaborating, announcing, eliciting, questioning, reacting,FORMにおいてgrammar, spelling, expression, AUTHOR’S RESPONSES, IRRELEVANT (DEVIATED) COMMENTSに分類された。

なぜ日本語のフィードバックなのか、フィードバックにおいて何か指示を与える必要はないのかなど。。。

Stanley, J. 1992. Coaching student writers to be effective peer evaluators. Journal of Second Language Writing, 1(3), 217-233.

WORLD CALL 2008覚え書き

2008年8月5日から8日にかけて福岡でWORLD CALL 2008が開催され,内外から数多くの研究者が集まった。発表はしなかったのだけれど,その中の気になったものを幾つか覚え書き。

その1:
Ching-Fen Chang. Writing through CMC modes: Three case studies of integrating CMC in EFL writing courses.


気になる参考文献
Abrams, 2005 / Bloch, 2004 / Garrison, Anderson & Archer, 2001
CMC feature
Baron, 1998 / Crystal, 2001 / Davis & Brener, 1997 / Kern, 2006 / Murray, 2000
Sotillo, 2000 / Biber, 1998 / Warshauer

内容
3つの事例研究。オンラインにおけるpro / conの議論。CMCは適切なジャンルの意識を高める、CMCと対面式の組み合わせはpeer revisionはholisticなフィードバックを与えることができる。

その2:
Sylvie Thouesny & Francoise Blin. Modeling language learners’ knowledge state: What are language students’ free written productions telling us?

Mistakesなのかerrorなのか

その3:
Kunitaro, Mizuno & Reina Wakabayashi. The effect of online peer feedback on EFL writing: Focusing on Japanese university students.

変更してTOEFLのための指導。前半はTOEFLのライティングにおける高得点を取れるための特徴をまとめる。後半は実際のライティングの練習。点数が上がったことは注目に値するが、peer feedbackの効果なのかどうかは不明。Meta-knowledgeの効果なのではないか。

アンケートをオンライン上でするために有効なもの
Survey Monkey

その4:
Robert, J. Fouser, Shiina Kikuko, Yamanoue, Takashi & Yamanoue Takashi. Metacognitively enhanced writing courseware: “Kagoshima Academic Writing Space”

何がメタ認知なのか、またライティングの質が向上したことをどう評価するのか。疑問が残る。

気になる参考文献:
Lin & Hansen, 2002 / Little, Holec / Breuch, 2004 / Lin & Sadler, 2003

まとめ
いつもこの系統の学会に参加して思うのは,教育効果についてあまり厳密に検討していない発表が多いことである。但し新たなテクノロジーについては多くの知識を得ることができる。だから発表よりも業者のブースを回っていることが多かったりする。

2008年3月21日金曜日

第2言語ライティングセミナー

2008年3月15日(土曜日)東京国際大学早稲田サテライトにて、第2言語ライティングに関するセミナーが行われた。司会の方曰く、「英語及び日本語を第2言語教育というくくりでとらえるという非常にambitiousなセミナー」であった。

まずは英語教育の立場から東京国際大学教授のStephen Timson氏が"Preferred derror Feedback Styles of Japanese EFL Learners in Regard to Writing"というタイトルで発表を行った。多くの被験者を対象にした、学習者のフィードバックに対する嗜好を探るものであったのだが、いかんせん時間不足で具体的な結果を聞くことができなかったのが残念。

次に同大学教授の成田真澄氏が「英語母語話者からのフィードバックによってEFLライティングに生じた変化」というタイトルで事例発表を行った。本人も認めていたが、少人数(成田氏のゼミを選択したTOEFL ITP 450レベルの学生数名)の学生が春休み中に3回課題を提出し、英語母語話者からのフィードバックによってライティングにどのような変化が生じたかを調べたものであり、一般化できるものではない。また客観的な基準を用いたとしても、評価者の性格(この場合は非常に優しい英語母語話者だったので、評価が甘くなる傾向があったらしい)もあるので、ライティングのような複合的な能力を測定するのは難しいことを再確認した。

このお二方の発表の後、今度は日本語教育の立場から名古屋外国語大学教授の田中真理氏が「学習者と教師の Collaborative Writing Assessment」というタイトルで発表を行った。これは評価者が一方的に評価するのではなく、学習者がどのように評価を受け止めているかを調査し、また評価によってライティング能力を伸ばす可能性を探ったものである。対象は国立大学(理系)1年生に在籍する外国人留学生20名。学生は自身が書いた小論文をマルチプルトレイト(5トレイト、1〜6点)で自己評価をし、その後教員も同じ評価表を用いて評価を行い、コメントやエラー箇所を示す。後日学生は教員の評価を受け取り、自己評価と比較した上で満足度(Strongly Agree, Agree, Disagree, Strongly Disagree)や質問を示すというものである。評価表は田中真理・長阪朱美(2006 / 7)「第2言語としての日本語ライティング評価基準とその作成過程」『世界の言語テスト』253-276. くろしお出版を修正したもの。目的・内容、構成・結束性、読み手、日本語(言語能力)が評価項目として扱われている。

最終的には国民性などもあり、評価に対する満足度が異なってくるという話などをされていたが、それはさておき、教員の評価のみではなく学習者の自己評価も行う試みは非常に興味深い。自分でもこういった試みを行ったりはしているけれど一方通行になりがちなので、このような双方向の評価を体系的に行えば、今後より公正な評価方法を確立できると感じた。

その後休憩をはさんでアリゾナ州立大学准教授のPaul Kei Matsuda氏が「第2言語ライティングー誰のために書くのか」というタイトルで講演を行った。私自身も興味を持っている「社会文化的背景」及び「リテラシー」という概念があるが、これらを重視した上でライティング能力を定義し、ライティング指導を行っていくという話であった。実はこの発表ではじめて日本語でパワーポイントのスライドを作成し日本語で発表をされたそうだが、そうとは思えないほど流暢で完璧な日本語の発表でした。彼の主張には同感する部分が多々あるのだけれども、それを日本の環境でどう応用していけば良いのかは今後の課題である。

その後名古屋学院大学教授の佐々木みゆき氏、東京大学教授の二通信子氏、コメンテーターとして日本経済新聞社編集局英文編集部担当次長の木村恭子氏を加えてパネルディスカッションが行われたのだけれども、錚々たるメンバーが揃っているというのに、議論が上っ面で滑っている感じがしてとても残念だった。時間の都合上フロアがあまり参加できな形式だったのが災いしたのだろうか。欲を言えばパネルディスカッションでもう少し具体的かつ現実的な議論が聞ければ良かったのだが。

何はともあれ司会の方がおっしゃっておられたように非常にambitiousな試みであり、各分野の著名な方が発表をされるということで、非常に盛況のうちに終了したセミナーであった。

2008年3月11日火曜日

成績評価の厳格化

「成績評価の厳格化とその支援システム」という名のもとに行われたシンポジウム。文科省の特色ある大学教育支援プログラムとして選定されており、その成果発表の一環として2008年3月10日同志社大学今出川校地で開催された。参加者は200名限定ということであったが、教室内には鹿児島や長野など遠方から教職員が多く集まり会場が満員になるほどの盛況であった。

まずは基調講演としてUCLAの名誉教授であるAlexander W. Astin氏が"How assessment can enhance teaching and learning among college students"というタイトルのもと講演を行なった。基本的な概念としてはIEOモデルというものを提示し、評価を行う際には、学習者が今までどのような学習をしてきて、またどのような家庭環境から来ているかなどのINPUT、どのような教員がどのような教材を用いてどのようなカリキュラムのもとで行ったかというENVIRONMENT、そしてその成果としてのOUTCOMEの3つを考慮に入れる必要があるとのことであった。INPUTとしては家庭環境(両親の出身校や収入にまで踏み込んだもの)も1つの要素として挙げられており、多様な民族からなるアメリカでは重要なことなのかもしれないが、日本においてここまで個人情報に踏み込んだものを入手することができるのか、あるいは入手する必要があるのか、という疑問が残る。この点に関しては「情報の取り扱い」ということで参加者の一人が質問していたが、個人的には日本という環境にはそぐわないと思う。Astin氏が指摘するように、評価をする際にはこの3者を考慮に入れなければならないということは単純なようではあるが、忘れがちなことである。実行可能性なども考えながら、出来る限り多くのデータを収集した上でOUTCOMEの評価をするべきであるということ、そして機関としてノウハウを作り上げ収集したデータを機関間で比較することが重要であること、など今後の大学教育における将来像が見える講演であった。

個人的には逐次通訳の方たちを初めて見たので、彼女たちがどのように逐次通訳をしているかにとても興味を持った。感想:やはり英語のエキスパートと一言に言っても教員と通訳じゃ要求される英語力が全然違う。

その後は桜美林大学から舘昭氏、上智大学から山本浩氏、同志社大学から圓月勝博氏が登壇し、約2時間のパネルディスカッションが行われた。主な論点はGPAの導入とその成果についてであったと思う。パネリストの方々自身も言っておられたように、GPAの導入=成績の厳格化という訳ではない。またGPAを導入したからと言って公正な成績評価が行える訳でもない。但しGPAを導入しその分布を公開することによって、教員の成績評価に対する意識が向上することは間違いがないようである。「説明責任(アカウンタビリティー)」なんてことが言われている現代においてはこのことは重要であろう。またGPA導入のメリットの1つとして、諸外国と評価基準を同一のものにすることによって、単位の互換や交換留学が容易になることも挙げられる。しかしながら、これもディスカッションの中で指摘されたようにアメリカでは既に評価がインフレしており、アメリカでのGPA>日本でのGPAという構図になってしまっている現状もあるらしい。この辺りも今後解決するべき問題であろう。

個人的に興味深かったのは、このような改革を行っている人たちのバックグラウンドとして教育の方が一人だけで、残りの二人は英文学であったことである。昔から英語は技能課目として、良くも悪くも批判されることが多かったが、そういった意味で語学課目を担当している教員の間で成績評価に対する危機意識が強いのだろう。

「大学全入」と言われる時代になり、大学の国際的競争力が求められる時代、こういった流れは避けられないのだろう。けれども成績の評価をより公正なものにし、成績の評価が正規分布するようになればそれだけで良いのだろうか。確かに「楽勝科目」と呼ばれるものが存在しており、こういった評価をする教員に危機感を抱かせることはできるだろう。けれども、それだけに留まらず成績評価の厳格化が、大学としての質の向上につながるであるとか、教育効果が上がるであるとか、その辺りの展望が見えにくいので、今後に期待したい。

そう言えば先日広島大学でも同様のシンポジウムが行われたが、国公立大学主催のシンポジウム、私立大学主催のシンポジウムというのは、カラーが全然違うので面白い。前者は研究者、後者は実業家と言ったところか。

2008年2月9日土曜日

Moodleの可能性

去る2月7日木曜日神戸大学国際文化学部キャンパスで行われたmoodleのワークショップに参加した。「使ったことが無い人でも理解できる」ワークショップを目指しているだけあって、参加者の半数以上が初心者。全体としては実際に授業で使用している教員がどのようにmoodleを使用しているかを実践報告した上で、eエデュケーション総合研究所の井上氏が、moodleの概要について説明した。

まずは最初に神戸の大学で実際にmoodleを利用した授業をしている大学教員2名による実践報告。神戸海星女子学院大学の山内真理先生による報告は少々分かりにくい部分もあったのだけれど、moodleの可能性を感じさせてくれるものだった。簡潔に見えるmoodleの画面構成でも莫大な労力を払って教員が教材の作成や配列などを考えなければいけないらしい。また先生も言われていた授業ベースと自習ベースの違いは重要だ。授業ベースであればアクセスを制限し、授業内で用いている教材を加工してアップロードすれば良いが、自習ベースの場合はどこからマテリアルを拾ってくるのか。ネット上には沢山のフリー英語学習素材があふれているとは言え、微妙な問題である。

次に神戸大学のティム・グリア先生の実践報告。自身が試行錯誤しながら使い方を学んでいると言っていただけあって、初心者にとって分かりやすい報告であった。自分の授業でも掲示板を使って英語でやり取りさせるという活動を行っているが、そういう活動も含め、教材さえしっかり作れば成績管理はmoodleの方が容易である。


そして最後に井上博樹氏による講演。moodleのバックグラウンドがよく理解できた。まずは欧米で流行し、Blackboardなどに比べれば導入コストが安い(無料)ということで、注目を集めているmoodle。今流行のオープンソースということもあり自由度が高く、拡張機能も多い。英語教育に限っただけでも、教材の掲載や配布に始まり、小テスト、採点、課題提示/回収、成績管理、Podcastなど何でもできる。教材作成ツールとして無料あるいは格安で手に入るOpen OfficeやAudacity, GarageBand, iMovie, Windows Movie Maker, Camtasia, Profcast, Keynoteなどを利用すれば、費用対効果の面から考えても可能性は無限に広がる。

元々教育のバックグラウンド、そして社会構成主義的な考え方も取り入れていることから、教育に活用するメリットは大きい。自分の研究テーマの一つでもあるportfolio的な使い方もできる。それは今までの作品集的な紙のポートフォリオではなく、e-portfolioと呼ぶのだそうだ。ワークショップ参加者の質問から話は脱線し、virtual universityなどの話にもなったが、それはそれで興味深かった。

数年前からmoodleということばを聞いており、興味を持ちつつも実態を把握していなかったのだけれども、今回のワークショップでだいぶ頭が整理できた。ハンズオンセミナー的なものもしてもらったので、教材のアップロードや小テストの作成などを実際に自分でやってみたのだが、文系人間でも即座に理解できるものであった。授業だけではなく、教務などと連携した利用方法もあるらしいので、「一度導入してしまえば」、学生の授業に関する情報の管理は容易になるのではないだろうか。また教員から学生への一方通行ではなく、学生も自分の成績などを参照できるというメリットは大きい。この相互方向性は今後大学教育において必要となってくるはず。

それだけの可能性を秘めているにも関わらず、大規模に導入しているのは国内で数校のみ。また常にmoodleということばを聞くにもかかわらずそこまで広がらないのには理由がある。括弧付きで「一度導入してしまえば」とした点である。つまりmoodle自体は無料なのだが、それを導入するサーバースペース、そしてそれを管理する人間が必要になってくるのだ。実はこのワークショップに参加した後、大学の情報センターに確認をしたのだが、もしやるとすれば自分でサーバーを立てて管理するしかないらしい。もちろん、大学としてmoodleを導入しようという話になれば問題は無いのだが、個人で気軽に利用しようと言う話にはなかなかならない。

何とかなりませんかね、この問題。サーバースペースの問題さえ解決できれば来年度からでもすぐに使いたいものではあるのですが。。。