2011年9月6日火曜日

学士力,社会人基礎力,コミュニケーション力〜「○○力」と大学教育〜

 2011年9月5日(月曜日)広島修道大学にてtwitterでおなじみの渡邊芳之先生(帯広畜産大学)による「学士力,社会人基礎力,コミュニケーション力~「○○力」と大学教育~」という講演が行われた。巷に蔓延る「○○力」を批判する内容で,今までの疑問が解決するような明快かつ爽快な講演であった。以下,覚え書きとして書いた講演の流れ。当日の模様はUSTREAMで閲覧できます。

「◯○力」ということば。老人力をきっかけに増え始めてきた。それまで力と思われていなかったもの。教育においては「生きる力」。ゆとり教育の見直しの中でも中心に位置づけ。2008年においては、中教審の学士力。次に2006年の中教審による社会人基礎力、そして企業が採用時の重要な基準とするコミュニケーション力。

新しい「○○力」の特徴は、社会や企業の側が求めるもの、それを持つかどうかで人が評価され序列化されるもの、目標を決めるのは教育ではなく社会や企業である、という3つ。なので教育との間に様々な問題を生み出す。

物理学による力の意味するもの。力とは物体の位置や速度の変化を引き起こすもの。位置や変化そのもの(作用、反作用などの現象)、変化を引き起こすものの内部にあるもの(潜在力、位置エネルギー)。力そのものは見えない曖昧な概念。

心理学的な力。学力とは、実際に教科学習の成績が高いこと(教科テストの成績、学力の操作的定義、目に見える力)、教科学習の成績を高くする潜在力(生徒の内部にある力、心的概念、目に見えない力)。

カルナップによる傾性概念(disposition concept)と理論的構成概念(theoretical construct)という考え方。テストで測られる目に見える学力は傾性概念。観察にすべて還元される概念。現象の説明力、予測力は状況に依存。生徒の中にある目に見えない概念は理論的構成概念。観察に還元されない意味を持つ。状況を超えた説明力、予測力を持つ。原因論的な説明も可能。

心理的な力はふつう、理論的構成概念として用いられる。そこで、成績をあげたかったら、生徒の学力を育てようと考える。
○○力も同様。どんな状況で○○できるということなのか?

○○力は学力や体力とどう違うか?その力が明確な操作的定義がされているか、育成する方法が知られているかどうか。このことが教育の場での問題を大きくしている。

学力。学習達成は操作的に定義され、心理学的測定により客観的に測定可能。○○力を測定できるテストがあるか?操作的定義が不明確だと、評価が恣意的になり、結果論(生きている生徒には生きる力がある)にしかならなくなる。

○○力を育成する方法は知られているか?学力や体力には授業やトレーニング方法があり、それらが系統化、組織化されており、教員は専門家である。学士力やコミュニケーション力には、具体的な方法が用意されておらず、系統化も組織化もされておらず、教員はその専門家ではない。育成方法が知られていないと、育てられない、ばかりか、本人の努力に依存するようになり、教育以前の能力で決まってしまう(家庭環境やしつけ、経験)。

現在、大学ではコミュニケーション主眼、特に初年次教育において、が増えているが、教員にはそれを測定、教育する力もない。そうすると教育目標や評価基準のない授業が増える。コミュニケーション「させる」だけの授業が増える。コミュニケーションさせたら、コミュ力が育つという根拠は?学修の成果をどう評価すれば良いのか?更に深刻なのは、大学に不適応になる学生が増える(コミュ力の低い学生は)。

では大学は何をすべきか。2つの方法。1つには○○力を操作的定義し育成法を確立する。それは心理学者の仕事だが、果たしてできるか、すべきか?次に○○力に批判的な目を向ける。○○力を人の内部にあるものと見ることをやめ、その場の状況や文脈と結びついて発揮される力と考える。本人の責任にするのではなく、コミュ力が発揮される環境作り、コミュ力を引き出す対人関係作りをする。
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「○○力」というのはあくまでも比喩表現であり,それを安易に用いてしまうことの危険性がよく理解できた。学士力という概念が一度導入されてしまった以上,無くなることはないだろう。今後このような批判的な意見をはじめとして,大学人がきちんと議論をしていくことが重要だ。

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