2021年9月29日水曜日

シンポジウム「外国語教育研究の再現可能性2021」に参加した感想

  2021年9月11日にオンラインで開催された「外国語教育研究の再現可能性2021」シンポジウムに参加した。2020年度は例年参加している学会や研究会の多くが中止になり、開催されたとしても手探り状態の中でのオンライン開催であった。新幹線や飛行機に乗って開催場所に移動してしっかりと勉強し、夜には疲れを癒すために美味しいものを食べ、英気を養って次の週からの通常業務に備える。そんな学会・研究会出張と通常業務のバランスを取るサイクルを20年以上続けてきた身としては、2020年度は何をして良いかわからずいつにも増して生産性の低い1年になってしまった。「2021年度こそは(どこかに行きたい)!」と期待したものの、結局昨年度と変わらずほぼすべての研究活動はオンラインのままである。このままではさすがに良くないので、2021年度は興味のあるものを探して学会や研究会に参加することにしてみた。そうすると新たな敵は目の前の家事および誘惑である。オンライン学会だと移動の手間が省ける。インターネットに接続さえすれば1分前まで寝ていたとしてもすぐに参加できてしまう。場の切り替わりに時間がかからない分楽と言えば楽なのだけれど、どうにも集中できない。たまに集中して1時間話を聞くことができたとしても今度は座り続けて腰が痛くなる。ストレッチがてら立ち上がると視界に入る洗濯物の山。目の前の洗濯物、オンライン学会...。そりゃ誰だって洗濯物を畳みたくなる。洗濯物を畳み終えて一息つく。あれ?来週着るワイシャツにしわがついているなあ。アイロン、アイロン!夕方が近くなる。ビール飲みたいな...。あれ?ビールないな。買いに行くか...。誰だってビールが飲みたい。ん?学会もう終わっちゃってる!?

 そんなこんなでなかなかオンライン学会や研究会に参加する動機づけがいつまで経っても低いままなのだけれど、今回のシンポジウムはその中でも久しぶりに真面目に参加したいと思ったシンポジウムであった(どうやら同僚は早い時間から飲みながら参加していたようだが笑)。参加したいと思った理由はほぼすべての発表者と親交がある(と言うとおこがましいが、酒席を共にさせていただいたことがある)ことに尽きる。酒席では楽しく話すだけだが、研究の世界で一流の方々の話を純粋に聞いてみたかったのだ。だってこのメンバーをみるとワクワクしますよね。今後このプロジェクトの向かう先が確実に見えてくる。正直なところ、シンポジウムの内容は僕の理解力をはるかに超えてしまうものが多かったのだけれど、わからないながらにも発表を聞いているだけで知的興奮を覚える体験はなかなか得難い。研究活動の制限もある中でここまでたどり着くのは大変だったと思うのだけど、こういう機会を与えていただいたことに感謝しているし、今後の展開に期待して見守っていきたい。というだけでなくきちんと学ばなければいけないと思っているので、『英語教育のエビデンス(通称エビ本)』もきちんと再現するように2冊入手しておきました。


 奥住先生の「研究者と教師に期待すること」というお話を聞いていて思い出したことがあったので大学院時代の思い出を語って感想を終わりにしたい。僕が進学した大学院は「大学院大学」と呼ばれる大学で、当時教員の再教育を主たる使命として担っていた。全国各地から「現職教員」の人たちが集まり、同じ学年の2/3は現職教員、1/3は学部からそのまま進学したストレートマスターという環境。自然と「現職教員vs.教員を志望するストレートマスター」という構図ができあがっていた。幅広い年代の人たちで楽しい時間を共有したのだけれど、何かある度に現職教員から「理論と実践は違う(今大学院でやっていることは「現場」では何の意味もない)」だとか「教員はきみたちが夢見ているような仕事とは違う」と言われ続け、研究者と教師の間に存在する大きな溝を痛感したものだった。そんな中で印象に残っている同級生(現職教員)は、研究に対する文句をぶつぶつと言いながら、研究の世界で用いられる用語をきちんと理解した上で見事に使いこなし、2年間しかない大学院生活のなかで何とARELEに論文を投稿し採択されてしまった(周りのストレートマスターは研究に専念できるにもかかわらず誰一人として学会誌に投稿さえできていなかったのに)。そしてポツリと一言「こんなの現場では何の役にも立たないけどね」と言い残して大学院を華麗に修了していった。
 あれから長い年月が経過したが現状はどのように変化したのだろうか?奥住先生のような方が両者の橋渡しを担ってくれることに期待したい一方で、これから先も両者の構図は変わらないのではないかという諦観もある。「再現可能性」の議論が重要なのはとてもよく理解できるのだけど、今回のシンポジウムは誰を対象にしたものだったのだろうか。主として研究(を主たる業務とする)者を対象にしたものであれば大成功だったと思う。一方であまり好きではない言い方にはなるが、いわゆる「現場」の先生たちをも対象にしたものだったとするならば、今回のシンポジウムの言葉は彼(女)らにどのように伝わっているのだろうか。

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